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高麗人参の歴史について

古くから霊草として珍重されてきた万能の植物

高麗人参は和名をオタネニンジンと言い、セリ科に属する野菜の人参とは全く別の種類で、ウコギ科に属しています。2000年以上も前から、韓国や中国北東部などの山岳地帯に自生していたと言われており、人が入ることのできない山奥に育つため収穫が難しく、現在市場に出回っている高麗人参のほとんどは栽培されたものです。

せり科:オタネニンジン ウコギ科:人参
高麗人参(朝鮮人参)

高麗人参

昔から王侯貴族に珍重され、韓国の古代国家である高句麗では、健康に有用な植物として使用されたという記録が残っています。
また、古代中国では皇帝が滋養食として深山幽谷で野草を探し、その中で特に珍重されたのが高麗人参だったと伝えられています。

日本には奈良時代に中国から天皇への貢ぎ物とし献上され、江戸時代になると幕府が高麗人参の輸入を開始したため、一般庶民の間にも広がりました。 現在、高麗人参はさまざまな国で栽培されていますが、栽培により適した気候と土壌の条件を持つ韓国が、世界的に高品質の高麗人参を栽培する国として知られています。

日本での高麗人参の歴史について

高麗人参の日本への渡来は8世紀(739年)で、渤海国の使者が人参30斤を聖武天皇に奉呈したという史実があります。その頃建てられた正倉院には、今でも当時の野生人参が保存されています。

江戸時代、朝鮮半島から国交贈品として日本に送られる高麗人参に対して、年間11トンもの「人参代往古銀」と呼ばれる銀貨が対価として支払われていました。当時から高麗人参は一般庶民には、手の届かない超高級食材でした。当時の輸入品の筆頭は中国産の上質生糸で、次いで朝鮮人参が30%弱を占めていました。「人参代往古銀」とは純度80%の銀貨で、幕府の負担で特注したものでした。

京都の銀座で鋳造された本銀貨は対馬→朝鮮→中国(北京)へと流通したが、日本国内では使用されていない特注の高純度の銀貨でした。

人参代往古銀

人参代往古銀(にんじんだいおうこぎん)